フードボールができるまで
特集の続編ということで、フードボールができるまでの工程をさらに掘り下げてご紹介したいと思います。
第一弾のこちらもぜひご覧になってくださいね。
兎にも角にも型から始まる
以前、「PECOLOの譲れないこだわり」でもご紹介しましたが、FoodStandのデザインは、愛犬のためにとにかく良いものを作りたいという思いから、まず器の形状を自ら図面を引いてその図面をもとにhimmel designの飯室氏にデザインを提案してもらい、さらにそのデザインを元に確認を重ね、今のフードボールの形ができました。
フードボールを完成させるには、出来上がったデザインの図面を実際の形にしていくわけですが、そこでまずなくてはならいのが、「型」です。
器を形成するにあたって、計算されたデザインのものをたくさん作るためには型が必要です。その型を作ってくださっているのが、前回のブログでも少しご紹介した愛知県瀬戸市にあるM.M. Yoshihashiさんです。
こちらは代々「型屋さん」として続く会社で、さまざまな企業やお客さんからの依頼を受けて型を製造されています。
「型を作ると」一言で言ってしまいますが、実はさまざまな工程があります。
そして忘れてはいけないのが、「型を作るためには型がいる。」ということです。
何を言っているんだ?と思われるかもしれませんが、陶器を量産するためには型が
必要なのです。
フードボールの型は石膏でできている
ちなみに「型」と聞いて思い浮かぶ素材というと、木・樹脂・金属などがパッと思い浮かびますが、PECOLOのフードボールの器を作るためには石膏の型を使います。
その理由として、石膏は水分を吸ってくれる働きがあるからだということです。
どろどろのねん土を石膏の型に流し込むと、そのねん土の水分を吸ってくれるのでねん土が固まり成形することができるという仕組みなのだそうです。
例えば金属製のものを作るときに使われる型には、鋼やステンレスのものが用いられることが多いのですが、石膏と大きく違うのが吸水性がない、つまり水を吸ってくれないのです。
金属の型だとねん土を流し込んだらいつまでも水分を多く含んだねん土のままなので、成形できないという大きな違いがあるのですね。
この「水分」という存在がこの後の工程でも非常に重視されるのですが、水分のバランスはやきものにとってとても大きく影響を与えるものなのだと強く感じました。
話は戻って、「型を作るための型」を「原型」というそうなのですが、この原型製作は陶器ができるまでの原点ではないかと思います。
原型を作るには、プロダクトの図面を立面図にして作っていきます。
こうしてできた型に石膏を流し入れ、石膏型を作ります。
この石膏型があることで、綿密にデザインされたものでも、デザイン通りのものがたくさん作れるようになるのだそうです。
型は1から手作業で作られる
原型を作ることから職人さんの作業が始まります。
そして型に石膏を流し入れ、撹拌(かくはん)させ、脱気という中の空気を抜区作業をし、一定時間固めるために置きます。
そのあと、原型からフードボールの型を取り出します。
この取り出す作業ですが、ただ型をパカっと外すわけではありません。
原型は4つにパーツが分かれています。それを一つずつ仕上がりを確認しながら慎重に木槌でずらしながら取っていきます。
この時に力加減が少しでも違うと石膏の部分が割れてしまうのでとても繊細な技術が必要ですが、絶妙な力加減で原型を取っていきます。
その都度状態を確認しながら、力加減を変えていらっしゃるように見えました。
手作業だからこを、ここまで細やかに気を配れることができるのですね。
その後は、完成した型の面取りをします。
この作業も、もちろん手作業で一つずつ行われます。本当に少しずつ、時折優しく撫でるようにも見えるほど細かく丁寧に削っていく様子がとても印象的でした。
型を作ったら終わりではない
PECOLOからお願いして作っていただいた型は、全てM.M.Yoshihashiさんで保管してくださっています。
この型というのは、 PECOLOにとっての財産なのです。
その財産である型の保管を徹底して管理していただいているのですが、例えるなら銀行の貸金庫のようなものが近いかと思います。
そして、この度の浅型の形状変更のような動きがあった場合には、また新たに型を作っていただき、そちらも保管もお願いするという流れがあります。
どれもとても丁寧に保管してくださっていて、安心してお任せしきっています。
余談ですが、陶器はお皿だけでなく、ノベルティなどでも需要が多いです。
これまでノベルティをもらう側しか経験したことがなかったので、深く考えたことはなかったのですがノベルティには半永久的に同じデザインのものもありますが、テーマや年が変わるなどのタイミングで新しいデザインが生まれることもたくさんあります。
そうなるとその都度型が必要になりますが、そういった型も保管をしておられるそうで、本社はとても大きな建物だったのですが、そことは別にまた倉庫を持っていらっしゃいます。が、そこももういっぱいになっているそうです。
先ほど、「財産」とお伝えしましたが、PECOLO以外にも多数の企業の型をとにかくたくさん保管管理されているということで、具体的にどれぐらいあるのか尋ねると、そのなんと数千点もあるのだとか!さらに古いものは昭和50、60年代のものもあるそうです!
そういった年数が経てば経つほど型の状態を維持するのは、さらに気を配らないといけない大変な作業なのではないかと思います。
話は戻りますが、型を作った後の保管管理までを一貫してM.M. Yoshihashiさんが行ってくださっていることで、PECOLOのフードボールを安定してみなさまへお届けすることができています。
こうしてM.M.Yoshihashiの職人さんの手によって作られた型が、次の工程を担ってくださる「素地屋さん」の元へ運ばれます。
こぼれ話
M.M. Yoshihashiさんは「型屋さん」ですが、なんとオリジナルブランドで独自にデザインしたせとものを作っていらっしゃいます。
美しい白が特徴的な器やとても可愛らしい置き物、他では見ないデザインの食器をはじめ、瀬戸の伝統的な瀬戸の七釉(ななゆう)の食器も作っていらっしゃいますので、ぜひこちらも覗いてみてくださいね!
(吉橋さんのところでこの伝統的な色を使った作品は、厳密には六色なのだそうです。)
M.M. Yoshihashiのプロダクト
この伝統的な「瀬戸の七釉」呼ばれる、これぞ瀬戸焼!という7種の色があります。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、改めてこちらでご紹介したいと思います。
1.<灰釉(かいゆう)/ 御深井釉(おふけゆう)>
薄い緑色/薄い青色:植物の灰を使用した釉薬です。瀬戸焼発祥の時から用いられているという伝統的釉薬であり、全ての釉薬の基本となる釉薬です。
2.<鉄釉(てつゆう)>
茶色、焦げ茶色、黒色:酸化鉄を呈色剤とした釉薬です。瀬戸焼では、鎌倉時代の13世紀末期の「古瀬戸」に使用されたのが始まりなのだそうです。
3.<黄瀬戸釉(きせとゆう)>
黄色:ごく微量の鉄分により黄褐色に発色する釉薬です。桃山時代の16世紀末期に、瀬戸の陶工が美濃に移り住んで開発されたとされる釉薬です。
4.<織部釉(おりべゆう)/辰砂釉(しんしゃゆう)>
緑色/赤色:酸化胴を呈色剤(ていしょくざい)として緑色に発色する釉薬です。あの千利休の高弟である古田織部が好んだことからこの名が付いたのだとか。
5.<志野釉(しのゆう)>
白色:長石を中心に使用した釉薬で、光沢し白濁した白色に発色します。桃山時代の16世紀末期に、瀬戸の陶工が美濃に移り住んで開発されたとされる釉薬です。
6.<青磁釉(せいじゆう)>
青色、緑色:微量の酸化鉄により青色または緑色に発色する釉薬です。瀬戸では、江戸時代後期の19世紀初期に磁器の製造が始まった時から使用され始め他とされており、特に明治時代以降盛んに使用されている釉薬なのだそうです。
7.<瑠璃釉(るりゆう)>
紺青色、藍色:呉須(ごす:顔料の一種)、コバルトにより紺青色に発色する釉薬。瀬戸では、江戸時代後期の19世紀初期に磁器の製造が始まった時から使用され始めるが、高価な呉須を多量に使用するため、尾張藩から一時製作が止められたことがあるのだとか。特に明治時代以降、火鉢や植木鉢等に盛んに使用されている釉薬です。
以上が、「瀬戸の七釉」です。
この七釉のお話を聞いている時に、率直に名前がすごくかっこいいなぁと思いました。
実物を見せていただいたのですが、美しいツヤの中に長い伝統を感じる味のある色がやはりとてもかっこよく、素敵でした。
M.M. Yoshihashiのプロダクト(黄瀬戸釉)
M.M. Yoshihashiのプロダクト(織部釉)
M.M. Yoshihashiのプロダクト(志野釉)
と、いうことでまた今回も長くなりそうなので、続編としてまた次にご紹介したいと思います!
次回は素地屋さんについてご紹介したいと思っていますので、どうぞお楽しみに♪
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